2012年08月14日
●ミッション4「となりの秘密基地の遊びを制覇せよ!」(7月28日)

●ミッション4「となりの秘密基地の遊びを制覇せよ!」(7月28日)

いよいよシニアと子どもの間仕切りを撤去し、一挙大公開!同時に「わー!」という歓声があがり、隣の基地の出来ばえに感動した。基地ごとに性能をプレゼンテーションし、早速基地の内部や眺望を確認したり、装備を試したり遊んでみた。尚、シニアが寄贈した「むしろ」は、すべての基地に標準装備された。

シニアグループ装備:むしろのドア、通信用糸電話、パラボラアンテナ、赤色灯、拡声器、剣、盾、敵に落とす石、ピストル、ガスマスク、柿の山と富士山の背景等

子どもグループ装備:通信用糸電話、すべり台、全天候型屋根、ブランコ、名前入りフラッグ、照明灯、星型窓、満ち欠けするお月様、センス抜群の壁画等。

ミッション4が完了!_kato




2012年08月09日
●ミッション3「全員協力の下、秘密基地を創作せよ!後編」(7月28日)

●ミッション3「全員協力の下、秘密基地を創作せよ!後編」(7月28日)

正午に昼食をとり、全員でホッと一息。親交が深まると、うっかり基地の機密情報を漏らしてしまいそうになり、「ヒミツ!ヒミツ!」と声をかけ合い、なんとか死守。
午後も集中力は途切れず、シニアも子どもも創作の最終段階へ入った。シニアは基地の護衛用武器を製造。子どもは基地に看板や旗を掲げ、結束を表した。ミッション3が完了!_kato




2012年08月09日
●ミッション3「全員協力の下、秘密基地を創作せよ!前編」(7月28日)

●ミッション3「全員協力の下、秘密基地を創作せよ!前編」(7月28日)

子どもは各学年1人ずつ2グループに分かれ、シニアは6人全員で1つのグループとなった。シニアと子どものエリアは間仕切りで目隠しされ、秘密の創作へ突入!
シニアはあうんの呼吸で力を合わせ、外枠が完成。壁の弱い部分は柱で補強し、四方を紐で引っぱり強度を高めた。子どもは色づけや、窓・扉作りに没頭。シニアの基地作りを覗き見るヒマもない。夢中でミッション3を遂行!_kato




2012年08月07日
●ミッション2「昭和・平成の遊びを調査せよ!」(7月28日)

●ミッション2「昭和・平成の遊びを調査せよ!」(7月28日)

メンバーは、資料館の昔のモノを見ながらシニアの思い出を共有。秘密基地をつくるため、昭和の遊びや暮らしについて調査した。
シニアはモノの使い方や思い出を語り、子ども達は想像しながら聴くという光景。資料館を巡りながら話題は次々と展開した。終盤は日光写真(写真右下)を取り囲み、会話も弾んで和やかに!思い出を共有したことで、全員が仲間となったのだ。膨大なデータを収集し、ミッション2が完了!_kato




2012年08月05日
常に電気を使い続けること

常に電気を使い続けること

「電気冷蔵庫があの夏を変えた。」というタイトルを捻り出した瞬間、電気冷蔵庫にかつて入っていたものを連想していました。サイダーや乳酸菌飲料、活性炭の脱臭剤や製氷器など記憶が時間をさかのぼっていきました。
電気冷蔵庫が何を変えたのか? 家に帰ればビールが冷えている、生鮮食料品のまとめ買い、冷凍庫によって氷が作れる、等など。便利になった事柄はいくつも挙げられます。
この夏、節電が叫ばれるなか、もうひとつ大切なことがあります。電気冷蔵庫は、24時間、一年中、常に電気を使い続ける道具です。あの夏、電気を常に必要とする暮らしが始まりました。_ichihashi




2012年08月04日
ダンボールで秘密基地を創作!(7月28日)

ダンボールで秘密基地を創作!(7月28日)

このワークショップは、名古屋芸術大学美術学部美術文化コース3年生宮田智代さんが”小さな秘密”と”思い出”の共有のため、企画しました。シニア6名(平均年齢71歳)と、小学1〜5年生12名が参加しました。秘密ミッション1〜5の経過をシリーズでレポートします。

●ミッション1「秘密会議をして 図面を引け!」
いよいよ秘密のミッション開始だ。子どもはシニアより配給された”むしろ(わら製の敷物)”を装備に取り入れ、すべり台やブランコのある図面を引いた。シニアは故郷の風景を取り入れた基地を設計。お互いにどんな秘密会議が行なわれているか、予測不可能だ。順調にミッション1が完了!_kato




2012年08月02日
昭和時代の終わり頃

昭和時代の終わり頃

昭和時代も終わりに近づいた頃、電気冷蔵庫はスリードアになっていました。最上段が冷凍庫、中段が冷蔵庫、最下段の引き出し式のスペースは野菜室というスリードアです。それ以前は、冷蔵庫と言えば「白」が常識でしたが、赤、緑、茶などカラフルなものが登場しました。
写真の電気冷蔵庫は、そんな頃、冷蔵庫をもう一台、パーソナル用にという流行がありました。色も黄色やピンク色などよりカラフルな品揃えとなりました。1984年(昭和59年)製。
この冷蔵庫のなかには、1ℓ入りのファンタや250㎖の缶入ファンタレモン、オレンジなど1980年代半ばの飲み物を入れてみました。_ichihashi




2012年07月23日
家に帰れば冷たい…

家に帰れば冷たい…

「家に帰れば冷えたビール」という生活が電気冷蔵庫の普及とともに日常的なこととなりました。
昭和30年代半ば、ビールやジュースなどビン入りが主体であったところに、缶ビール、缶ジュースが登場しました。初期の缶飲料は、専用の缶切りで二カ所に穴をあけ、その穴からコップに注いだり、そのまま飲んだりしました。
今回、連携している株式会社ポッカコーポレーションは、「ポッカレモン」を発売、当時は「ニッカレモン」という社名で販売していました。株式会社ポッカコーポレーションによると、「ニッカレモン」時代の商品は、今回の企画展に展示している2点のみが残されていたということ。貴重な昭和時代の生活資料とも言えます。同時代の「ポッカレモン」がどこかに残っていたらご一報ください。_ichihashi




2012年07月22日
みんなビンだった。

みんなビンだった。

今では、マヨネーズ、ケチャップなどは、ほとんどの商品がソフトチューブ入りでキャップを外せば片手で必要な量をかけることができます。
写真は昭和30年代前半の電気冷蔵庫に当時の商品などを配置したもの。展示品は実物ですが、何が入っていたかという設定については、「暮しの手帖」や広告、聞いた話などをもとに再現しています。
ご覧のように、ケチャップ、マヨネーズはビン入りでした。ヤクルトやエルビーといった乳酸菌飲料もビン入りでした。
電気冷蔵庫内の照明は、電気冷蔵庫本体の光源ではなく、電球色のLED照明を仕込んでいます。_ichihashi




2012年07月20日
ポッカ顔缶ヒストリー

ポッカ顔缶ヒストリー

1972年に発売された190gの缶コーヒー。翌、1973年から男の顔が缶のキャラクターとなりました。78年、82年、87年、92年、94年、99年、2001年、04年、06年、09年とデザインが変化してきました。
今回の企画展では、北名古屋市とサッポロホールディングス株式会社、株式会社ポッカコーポレーションの三者による包括協定が締結されたことにより、ポッカの代表的飲料であるコーヒーの歴史を展示しています。
展示している顔缶コーヒーは現在の缶を使用したレプリカです。_ichihashi




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