木造校舎の思い出

鉛筆削り鉛筆削り裁縫箱運動足袋 学生服 給食献立表水筒石盤と石筆 脱脂粉乳ランドセルバリカン ブルマー

 

地球儀

 アポロの月着陸に沸いた時代物語る。  写真の地球儀は、アポロが月面着陸を成し遂げたころに販売されていたもので、名前も月を意味する「ルナー5号」であり、箱書きには、宇宙時代の地球儀と記されており、時代を物語っている。  地球儀に付けられているしおりには、1969年7月21日、「人類月に立つ!」という見出しで、月面にアポロと宇宙飛行士の姿が描かれている。回転する地球儀の台の部分には月の半球部分が図示されており、「シズカノウミ」「アペニン山脈」などの名称が記されている。  

鉛筆削り

 学校へ行く毎日の準備に鉛筆を削る作業がある。中学や高校、会社などでは、シャープペンシルを使うことが多くなったが、小学一年生は鉛筆が第一の筆記用具であるのは、今も昔も変わっていないようだ。鉛筆の形も、六角形や円形が基本であることも同じである。 変わったのは、削り方である。今の子どもたちには、鉛筆の先を差し込むだけで鋭くとがらせることができる電動鉛筆削り機という便利な道具がある。 写真の鉛筆削り器は、昭和三十年ごろのもので手動式である。
ご年配の方にうかがうと、鉛筆削り器よりも切り出しナイフで削っておられた方が多いようだ。「今のカッターナイフでは、刃が薄いから鉛筆は削りにくくて、おれの子どものころは、肥後守(ひごのかみ)で削っとった」という話をうかがうことも多い。 写真の手前に写っているのが、持ち手の部分から小刀を引き出して使う道具だ。のばした刃の背に左手の親指を当てて前に押し出すように少しずつ削っていくのがこつで、鉛筆だけではなく、竹を削って竹とんぼや凧(たこ)を作ったりと万能な小刀だ。
  小刀を使う技術は、昔と今とでは大きく異なっていることだろう。


 
 

裁縫箱

 昭和を代表する素材にセルロイドがある。セルロースと樟脳から作られる合成樹脂で洗面器、筆箱、下敷き等など身の回りにセルロイド製品があふれていた。 写真は、セルロイド製の裁縫箱である。昭和30年代のもので、緑やピンクなど華やかな色から、べっ甲を思わせるものもあり、そのやや透けるような素材感が特徴である。 この裁縫箱のなかに入っていた糸巻きや針入れなどの小物もセルロイド製である。 小学校などでのいまでいう家庭科の授業のなかで裁縫はふるくから定番であったようだ。裁縫箱のデザインや色を見ていくと男女それぞれ用のものが見受けられる。昭和30年頃は、「運針用具箱」とも呼ばれていたようだ。セルロイドは、昭和30年代頃その最盛期を迎えたが、工場での火事が相次ぎ、その発火性の高さと、おりしもプラスチックの台頭により姿を消していった。  

運動足袋

短距離走など運動会で活躍

 運動足袋は昭和30年代ごろまでよく使われていたようだ。活躍の場所は小学校の運動会らしい。あいまいな表現にとどめたのは、あまり情報が残されていないためである。  写真のスポーツ足袋、マラソン足袋などと出合ったのは岐阜県内のある雑貨屋さん。店主に聞くと、昭和30年ごろに商品として扱っており、子どもたちにとっては運動会に欠かせない大切なものだったという。  さらに説明に耳を傾けると「運動足袋は小学校の運動会の日だけに履いた足袋で、特に短距離走やリレーなど走る競技のときに使用し、ふだんの体育の授業では使わなかった」。すなわち晴れ舞台で履くものだったようである。この足袋を材料に話は尽きなかった。  資料館で預かり展示し、見学者に聞いてみると、年配の方でも、履いたことのある人と見たこともない人がいると分かった。すべての学校で使われていたわけではないようである。  しかし、履いた経験のある人にとっては、幼きころの運動会の良き思い出の品であることが、多くの見学者との会話から感じとれた。  


 
 

学生服

かつては小学生から

 4月、入学式で目を引くものの代表として、小学生であればランドセル、中学生には学生服がある。  学生服はまさに学校で着る服で、過去も現在も定番といえる。  さて、最近の小学生に戦前や昭和30年ごろの小学校の入学式の記念写真を見せると、「学生服を着ている!」と驚いた表情を見せる。写真に写っている小学生たちが、黒やグレーの学生服を着ていたからである。  最近の小学校の入学式では、ネクタイをしたスーツ姿の小学1年生がもっぱらであるから、驚くのも無理はないかもしれない。いわゆる学生服を着用するのは、中学生になってからというイメージがある。  写真の学生服は、昭和30年ごろのもので、そのころまでは、小学生も学生服が一般的だった。襟は、プラスチック製のカラーを付けるようになっているが、最近の学生服のような詰め襟ではない。  この学生服に付いていたサイズ表を見ると、小学1年生から大学生までのサイズが掲載されている。学生服とはまさに学生と呼ばれる時期を通して用意された服だった。  学生服について、来館した方々に当時の思い出をうかがうと、ほころびたら当て布をし、そでは鼻水で汚れていたなどの話に始まり、木造校舎や脱脂粉乳の味などにも話が及び、学校にかかわる記憶が一気によみがえったようだった。  

給食献立表

週1回近く出た鯨肉

 小学校のころ、楽しかった思い出は数多い。遠足や運動会などのイベントや、毎日、友達と遊んだ放課。中には、つらい思い出も混在する。そんな、小学校生活の中でも毎日の給食には、さまざまな思い出が残っている。写真は、昭和30年代半ばごろの給食献立予定表である。師勝小学校で当時配布されたものである。 昭和30年代当時の給食を話題にすると、必ず鯨肉がよく出たという会話になる。今では、ほとんど口にすることがない鯨肉である。  では、実際の献立表から鯨肉の献立をピックアップしてみる。献立16回のうち2回、「鯨のこはく揚げ」と「鯨肉のマリアナソース煮」である。他の月をみてみると20回のうち3回、「こはく揚げ」「鯨のべっ甲煮」「鯨のつくだ煮」である。  献立の名称からだけでは、どんな味だったか分かりにくいが、とにかく硬くてかみ切れず、のみ込んでいた記憶がある。  「鯨のたつた揚げ」をよく食べたという話をうかがうが、献立表で、こはく揚げの材料をみると「でんぷん」とあるので、これが、たつた揚げだったようだ。  味はともかく、1週間に1回に近い割合で登場していたことから、よく出た献立であったことは確かである。  


 
 

水筒

遠足などの必需品 方位磁石にワクワク

 遠足や都会の喧騒(けんそう)を離れる時の必需品に水筒がある。古くは竹筒を利用して水を運んだが、懐かしい水筒と言えば、アルマイト製のものであろう。亀の甲羅のような形をしたこの水筒には、肩掛け用の革ひもが付けられ、注ぎ口にはコルクの栓が閉められている。さらに忘れてならない特徴は、注ぎ口のキャップに方位磁石が付けられていることである。  子どものころ、水筒の中に入っている飲み物とともに、この方位磁石が付いていることが、遠足に向かう時、ワクワクする気持ちを盛り上げてくれていたような記憶がある。  よく見掛ける遠足の集合写真のうち、昭和20年代から30年代前半ごろまでのものでは、アルマイト製の水筒が、30年代後半ではプラスチック製でチェック模様入りの水筒が、肩から下げた子どもらとともに納まっていることが多い。さて、思い出の遠足では、どんな水筒をお持ちでしたか?  

石盤と石筆

書き消しが何度でも ノート普及で消える


 これは、昭和の初めごろに使われていた石盤と石筆である。黒板を小さくしたような道具で、何度も書いたり、消したりができる便利なものだ。ノートや鉛筆の普及で、あまり用いられないようになった。  


 
 

脱脂粉乳

『あのにおい』思い出す容器

 最近の小学校の給食のメニュー、すなわち献立表を見て驚いた。実に充実した内容である。もちろん、栄養という観点でも満たされているようだ。 昭和30年代の給食の献立の思い出を尋ねると、食パン、バターかマーガリン、おかず、脱脂粉乳があがってくる。中でも脱脂粉乳には強烈な思い出がある方が多いようだ。  脱脂粉乳は、その字面の通り、脂肪分をほぼ完全に抜き取った牛乳を粉末にしたもので、それをお湯で溶いたものが、写真のアルマイト製の容器で配ぜんされた。  この容器を見た方々は、その味について、ほとんどが「まずかった」と声を大にされる。においが気になったという方も多い。  給食といえば、もう一品、よく話題になるのが鯨である。当時、よく献立に登場したのだろう。給食は、小学校の記憶として多くの方に共通して残っているようだ。  

ランドセル

見覚えある? “野球少年もの”

 ランドセルといえば、小学校の通学には欠かせないかばんである。大人になった今、幼いころに使っていたランドセルを手に取ると、なんと小さいことか。初めてランドセルを背負った時は、まるでかばんが歩いているようだった。  以前と比べ、最近のランドセルは、ずいぶん大きくなった。A4サイズ対応ということらしい。昭和30年ごろのランドセルは平成版ランドセルの中にすっぽり入ってしまうくらいだ。写真のランドセルは茶色の皮製で、ふた部分に型押しと彩色による野球少年の姿が描かれている。ただ、ある程度、年配の方でも記憶の中にあるランドセルは黒か赤の無地であることが多いようだ。  いくつかのパターンの野球少年と花柄のランドセルを現在、資料館に展示している。昭和20年代に売られていたものらしい。しばらく前から展示しているが、来館者の「わたし、このランドセルだった」という高らかな声は残念ながらまだ聞いていない。  そんな折、長野県大桑村の資料館で開かれた「懐かしい写真展」で、このランドセルが雑貨店の店先で売られている写真を発見した。撮影は昭和29年。まさに証拠写真であった。  


 
 

バリカン

かつては小学生から

 街角を行き来する人々を眺めていると、実にさまざまな髪形をしている。ここ数年は、髪形に加えて髪の色を簡単に変えられるようになり、そのバリエーションは人の数ほどである。  また、男女問わず髪の色を変えるようになり、実にカラフルであり、個性の表現の重要な手だてにもなっているようだ。写真は、昭和30年代に理髪店で使われていたバリカンである。バリカンはもちろん現役の道具で、本来は写真のようにさびることなく磨き上げられている。  このバリカンの名称は、理髪器具としては「クリッパー」と言うようで、バリカンという名称は、明治時代に日本に持ち込まれた際、フランスのバリカン・エ・マール製造所のものであったことからバリカンがポピュラーな名前として定着したようだ。  かつて、中学生時代は丸刈りが学校の規則であり、自宅で母親にバリカンで刈り取られていた方も多い。バリカンを握るスピードとバリカンを頭の上で進めるスピードが食い違うと、バリカンに髪の毛が挟まり引っ張られ痛い思いをした方も多いことだろう。  先般、20代、30代の女性にバリカンを見せてこれを知っているかを質問したところ、意外にも知らないという方が多かったことに驚いた。確かに、髪形を丸刈りにするということは、ほとんど男性が主であったことから当然かもしれない。最近は、中学校も長髪の学校が増え、子どもの頭をバリカンで虎刈りにしてしまうこともなくなったようだ。  

ブルマー

運動会では大活躍 黒いちょうちん型

 夏休みが終わり、2学期を迎えると今度は、10月上旬の運動会を目指して準備や練習が始まる。運動会と言えば赤白の帽子、ハチマキ、玉入れ、徒競走などなど。かつては竹馬競走や仮装行列も行われ、参加している子どもたち以上に家族や地域の人たちが盛り上がる機会でもあった。会場となる運動場のトラックの周りにムシロやゴザを広げ、弁当持参で観戦する秋の一大イベントであった。  写真は、昭和30年代に洋品店で販売されていたブルマーである。商品として新品の状態で残されていたものだ。  よく「提灯(ちょうちん)ブルマー」という表現を耳にするが、まさに提灯のように膨らんだ形状を保っている。黒の木綿製でナイロン入りのものもある。本品は当時の値札が付けられたまま保存されていた。サイズによって、85円から150円で売られていたようだ。