基調講演 日笠真理氏

 食物や器は単なる栄養補給のためのものではなく、人の思いを伝える道具。

 私たちは生まれてから80,000回も食事をする。当たり前のように食事をするが、毎日「おいしいな」とか「幸せだな」とか感じて食べれることは幸せ。誰と食べるかも大切。食事をどこで食べるかも大切。

 日本人は、お茶碗、マイはし、自分専用の食器を持っている。食文化の歴史を食器から見てみると古くは、奈良時代に平城京跡からマイ茶碗が出土している。茶碗に湯呑も夫婦で、手の大きさから男性は大きな食器。食器のサイズが性別で違うのは、日本のみである。日本人は、細やかな感性、穢れを嫌う文化がある。毎日使うものには魂が宿る。故人の茶碗にごはん、はしを立てる風習がある。次に箱膳の文化があった。茶碗に沢庵、お茶ですすぐ、水が貴重であった。やがて、ちゃぶ台に変わっていった。中国から長崎へ卓袱料理が伝承される。食事場、寝室と1部屋で、畳める机は日本の「間の文化」に浸透した。やがて、ダイニングテーブルへと変化していった。

 弁当箱と思い出。弁当と言うと、おにぎりを思い出す。おいしい記憶。運動会や遠足の時に食べた。アルミ弁当やまげわっぱ。まげわっぱは、ごはんがむれない。重箱もある。江戸時代からひもをつけて持ち運ぶ文化であった。箸置きを変えることで、簡単に季節を食に取り入れることができる。また、しつけの場にもなっている。わたりはし、つつきばしなどマナーをしつけた。

 葉っぱも食器に使える。食べることは大切で、単なる栄養補給ではない。幸せな記憶である。人生の通過儀式に食事は深く関係している。お食い初め、節句、還暦など、人生を彩るおいしさのスパイスである。過去の思い出をたどりながら食を楽しくいただきたい。


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