暑い夏の思い出

扇風機アイスキャンデーアイスクリーム保冷箱海水パンツかき氷機蚊帳海辺のお土産

 

扇風機

 夏を乗り切る道具として風を送るうちわは欠かせず、それを電化したものが扇風機だ。写真は、右が昭和20年代ごろ、左が同30年代ごろに使われていた扇風機である。右側の黒い扇風機は「鉄の塊」と言っていいほど重く、羽根も金属製。それが昭和30年代に入ると、重量は軽くなり、色合いも緑やグレーや水色などの明るいものが多くなった。 また、金属製の羽からプラスチック製のものへと代わっていった。

アイスキャンデー

夏の暑い日にチリンチリン

 「キャンディー」ではなく、あくまで「キャンデー」と呼んだ-。昭和30年ごろまでは、割りばしなどに円柱状に固まらせたアイスキャンデーが、自転車上で商われていた。  「日の丸」印が書かれた木箱は、20年代から30年代にかけ、キャンデーの引き売りに使われていた実物。木箱の内部は、魔法瓶のような2重構造になっていて断熱材としてオガクズなどを詰めていた。  大きなふたの中央に手が入るくらいの小窓があり、キャンデーの取り出し口になっている。上ぶたの開け閉めによってキャンデーが解けるのを防ぐ工夫だ。 暑い夏の日に遠くからチリンチリンと振鈴(ハンドベル)を鳴らしながらやってくるキャンデー売りは、特に戦後の甘みの乏しい時代にもてはやされ、当時の夏の風物詩だった。  


 
 

アイスクリーム保冷箱

王、長島、星野… ヒーローの足跡

 王監督はご存じの通り、巨人の選手として大活躍し、現在の長嶋茂雄巨人監督とともに、ON時代と呼ばれる球史に残る輝かしい時代を築いた。星野監督もこのころ、投手としてONと名勝負を繰り広げた。  彼らはいわゆる野球大好き少年たちのヒーローだった。子どもたちのヒーローはいろいろな形で、モノにも登場し、その足跡を残している。  このアイスクリームの保冷容器は、それ自体懐かしいが、描かれているYGマークの帽子をかぶった野球選手は、おそらく王選手であろう。名糖から出されていたアイスクリームの大ヒット商品に「ホームランバー」があったことも、王選手が看板になった理由として考えられる。  昭和30、40年代の少年誌や週刊漫画などをひもとくと、現役時代の王、長嶋氏らが、その表紙やグラビアを飾っている。そこに登場する人物の輝きによって、懐かしいものに対する思いは、さらに強くなる。  

海水パンツ

川泳ぎが”定番”

 8月、学校の夏休みも後半に入った。夏休みは、真っ黒に日焼けした子どもたちの姿が急増する季節である。  現代の子どもたちにとって、水泳といえばプールである。しかも、流水プールであったり、大きな波が押し寄せてきたり、スライダーと呼ばれる巨大な滑り台があったりと、単に「泳ぐ」というより遊びの要素にあふれている。  昭和30年ぐらいまでは、夏の水泳といえば、近くの川で泳ぐのが定番だったようだ。まだ学校にはプールがなかったころである。  戦前や戦後間もなくの夏休みの日誌には川で楽しく泳ぐ子どもたちの写真が掲載されている。川での水泳は魚を捕まえたりすることもでき、今とは異なった楽しみがあったとうかがった。もちろん川の水も今よりずっと澄んでいたわけである。写真の水着は、昭和30年代前半ごろのもので、紺色のニットのパンツに白い幅広のゴム入りのベルトが付いている。当時の海水浴の写真を見ると、ほとんどの男の子たちは、この水着を着用している。  資料館には、昭和初期からの海水浴場の絵はがきが数10枚保存されており、知多半島の新舞子や野間、内海、河和など、当時からにぎわっていた様子が写されている。  来館した方から、野間での臨海学校の思い出をうかがったことがある。当時の海水浴場は今以上に水がきれいで写真と同様の水着を着ていたそうだ。  


 
 

かき氷機

冷たくガリガリ  夏の郷愁を誘う

 蒸し暑い時期になると、アイスクリームやアイスキャンデーなど冷たいお菓子が恋しくなる。特に、かき氷は盛夏にかけての風物詩でもある。  写真のかき氷機は昭和20年代から30年代にかけて使われたもので、鋳造品で重く、堅牢(けんろう)である。 横につけられたハンドルを回すと、歯車で氷がクルクルと回転し、かき氷ができるというもので、駄菓子屋さんなどの店で使われたものだ。右手でハンドルを回し、左手にガラスの器を持って、器の中に山を築くように盛りつけていくのは、技である。駄菓子屋さんでは、店の入り口近くに、かき氷を販売するコーナーが設けられ、このかき氷機を中心にシロップを入れたつぼやガラス製の器などが置かれていた。氷は、製氷屋さんが毎日配達してくる。もみ殻で覆って解けないようにしていた。昭和30年代に入ると、かき氷機の上部にモーターが付けられた電動式のものが多く使われた。  朝顔形に開いたガラスの器で食べるかき氷がおいしかったんだと語る方や、繊細な氷というよりは、時折氷の小さな粒が混じるような、ガリガリしたものだったという話もよくうかがう。  また、氷の塊が次第に小さく薄くなって、かき氷が削れなくなった時に、薄い氷をもらって食べるのが楽しみだったという方もある。  

蚊帳

寝苦しい夏の夜 涼しい風を誘う

 テレビを見ていると、コマーシャルに懐かしい夏の風景がよく登場する。手押しポンプの井戸や、縁側で昭和30年ごろの製品と思われる扇風機の風で涼む姿などである。画面を見ていると、涼しさがよく伝わってきて、「日本の夏」が懐かしく思い出されるから不思議である。  日本の夏といえば、工夫して涼しさを得ることのほかに、ハエや蚊といったこの時期に大量発生する害虫との戦いも風物といえる。  麻で作られた緑色の蚊帳は寝室などにつるされ、寝ている間、蚊の侵入を防いでくれ、安心して休むことができた。蚊帳をつっておけば、窓を開け放って少しでも涼しい風を取り入れることができ、寝苦しい夏の夜を気持ちよく過ごせたと、よくうかがう。薄っぺらな麻製品ではあるが、結構高価な商品で六畳用の本麻の蚊帳が昭和20年代の後半で約5,000円ほど、大卒の銀行員の初任給とほぼ同額であった。  部屋全体につる方式の蚊帳のほか、傘のように広げて用いる幼児用の折り畳み式の蚊帳もよく使われた。昭和30年代に入ると、本麻の製品のほか、ナイロンなど合成繊維の蚊帳も用いられた。 子どものころ、蚊帳のすそを大きく持ち上げて入り、親からしかられた記憶がある。蚊帳に入るときは、蚊が入らないよう、蚊帳のすそを体の線に沿わせて慎重に入らなければならなかった。


 
 

海辺のお土産

夏休みを思い出す

 5月、土曜日、日曜日になると各地の潮干狩り場がにぎわっているようだ。子どもから大人まで手軽に楽しめ、昔から人気があった。  名古屋市の北辺から西側を通り、名古屋港に注ぐ新川で、本市辺りから潮干狩りに向かう船が出ていた時期もあった。日帰りで、食も堪能できる潮干狩りは楽しい。  6月末から7月にかけて各地で海開きとなり、海水浴シーズンに突入する。海辺でのお土産品で懐かしいものといえば、展示の貝殻を使ったさまざまな置物や鉛筆立てなどの小物である。  一目で海辺の思い出がよみがえってきそうなのが、中央のタコの玩具である。ハチマキを結んで口をとがらせた真っ赤なかわいらしいタコ。8本の脚はスプリングで作られており、揺らすとプルプルと小刻みにふるえて不思議な動きをする。子どものころの夏休みを思い起こす品でもある。